新匠工芸会

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第77回
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第46回春季展

                

新匠工芸会の沿革


1947年(昭和22年)1月 旧国画会工芸部を退会した富本憲吉を中心に、同士が集まって、『新匠美術工芸会』として発足しました。


第 1 回新匠工芸会の公募展が、同年6月に東京日本橋高島屋で開催されました。

当時の会員は、富本憲吉、稲垣稔次郎、小合友之助、北出塔次郎、鈴木清、徳力孫三郎、内藤四郎、平野利三郎、福田力三郎、古山英司、増田三男、森一生、山永光甫、山脇洋二、山田普A矢部連兆、会友は河合隆三、竹内泉石、富岡伸吉、19名でした。


第2回展1948年(昭和23年)6月、東京高島屋で開催した時に、加藤土師萠、近藤悠三、後藤年彦、佐藤潤四郎の4人が参加しました。


第3回展1949年(昭和24年)の時には東京および各地の会員・会友が増加して、40名近くになり、大阪、東京と会を重ねてきました。


第4回展1950年(昭和25年)の時には地方からの希望があって、神戸や高松市美術館などでも開催しました。


このように順調にやってきましたが1951年(昭和26年)2月に富本の決意の下、再組織となり『新匠会』と改名して同年5月に再出発することとなりました。


新しい新匠会のメンバーは、陶=北出塔次郎、熊倉順吉、近藤悠三、鈴木清、徳力牧之助、徳力孫三郎、富本憲吉、福田力三郎、藤本能道、森一生、山田普A染=稲垣稔次郎、小合友之助、春日井秀雄、河合隆三、佐野猛夫、山出守二、漆=明石聖、古山英司、山永光甫、金工=鴨政雄、増田三男らです。


この年の夏、新匠会と日展の間に問題が新聞に報道されて、退会者が出てしまいました。


この時の気持ちを富本は次の詩に託し、飾り壷の讃に書いています。


     強き風よ

     新匠を吹け

     右より左より

     吹く風よりはげしく進む

     新匠を見よ

     或いは蛇行する如く

     或いは躍進する如く

     新匠は進む


1975年(昭和50年)、東京都美術館の改築が行われ、これを機に第30回展から同館の彫塑室で公募展を開催する事になりました。そしてこの時、新匠会が工芸の団体である事を明示するために、名称を『新匠工芸会』と改めました。


現在、新匠工芸会は会員・会友を合わせて100名を超える大きな組織になりました。毎年、春には会員・会友の展覧会を、秋には京都市美術館と東京都美術館で公募展を開催しています。そして今後も会員・会友一同一層の研鑽に精進し、富本憲吉念願の『模様から模様を創らず』を基本として、創作工芸の本道を歩みつづける公募団体として新人の発見、後進の育成に努めています。


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